我が家の長男が幼稚園年少時の話です。保育士を採用できる奈良の大和高田ならでは、自分の殻を破って子ども特有の無邪気に遊んだり、歌ったりするのが苦手でした。入園後も担任の先生の前で、「おはようございます」すら言えず固まってしまう彼を目にしても、どこか「シャイ」だからしょうがないと半ばあきらめていました。そんな時、何かにつけ固まってしまう長男のことを担任の先生はしっかりと観察し、あることに気づいてくれたのです。これから保育園を奈良市内で決めるとするとそれは、長男が先生の言うことを1回目は固まってしまい行動に移すことができなくても、時間をおいて2回目には自分の言葉で言い換えて聞いてから行動できた、ということでした。先生は私に、「○○くんはシャイな面もあるけれど、どちらかというと自分で納得してから行動に移したいのかもしれません」と教えてくれたのです。そう言えば、こだわりが強く好きなおもちゃはとことん肌身離さず持ち遊び、あまり飽きて放っておくことが少ないことなど思い当たりました。そんな長男が入園から唯一できなかった「おはよう」の挨拶も、その先生は挨拶を返せない長男に毎日毎日挨拶し続けてくれたのです。そして、そろそろ進級を目前にする3学期、ついに長男から「おはよう」と担任の先生に挨拶ができるようになったのです。挨拶をすることが毎朝を気持ちよく過ごすための行為であると長男なりに納得したのでしょう。親として言い聞かせてできるようになることばかりやってしまいがちだったのですが、その先生の「その子の考えをくみ取って、待つ」というやり方もあることを知った貴重な体験になりました。約1年間、先生と一緒に子どもの成長を「信じて、待つ」ことを経て、できるようになったことがとてもうれしいエピソードです。