私は間もなく50歳になる女性ですから、バイリンガルスクールでは神戸がここからでは私が自身の保育園時代を振り返るとなると何と45年ほど昔のお話となってしまいます。
ですから、自身の保育園時代の想いでは殆どない状態ではありますが、今でも鮮明ともいえる場面は幾つかはございます。
その一つが保育時代にな私が縄跳びチャンピオンになった時の事です。
当時の担任の先生だった”ノジマ”先生は、私は何故か当時は保育園じなのに漢字で”能島”ではなく”野島”として記憶に残っているのが不思議です。
人気の保育園を奈良の大和高田でも話題になってからその”野島”先生が私の下の名前に”ちゃん”を付け乍ら、一生懸命両手を打って、私がい、2,3・・・・と縄跳びを飛ぶ回数を重ねるのを応援してくれていた記憶があります。
その先生の励ましがあってこそ、保育園児の私はその園で開催された縄跳び大会でチャンピオンに慣れたと感謝します。
前述の様に、私はもうすぐ50歳にもなろうとしていますが、今でも心は幼子の様に時には寂しく、時には不安になることがあります。
そして私は周囲に寂しさを打ち明ける人もいない状態なのですが、そんな時は当時縄跳びを飛ぶ私を応援してくれている野島先生が蘇ることがあります。
早く奈良で評判の保育園を探そうと必死になってから手を打って「・・・・(私の名前)ちゃん、ほら頑張って」、そんな保育園時代の先生の応援の声と手を打つ音はまだまだ現役という事です。
これからの私も、まだまだ記憶の中の野島先生のあの時の励ましで元気を貰って行くと思うので、
野島先生との出逢いは、私にとって一生ものの価値があると思わされています。
今の保育園児や幼稚園児の皆さんにも、神戸ではインターナショナルスクールを巡るから一生の宝になるような先生との出逢いがあるとイイですね。

投稿者 b35va3