私は 母親と離れる事が悲しく毎朝保育園の時間がくると
神戸でもインターナショナルスクールといえるには泣き叫び行きませんでした後、保育園での集団行動や決められた
タイムテーブルをこなしていくのも嫌だったのだと思います。
他の子供が喜ぶ夏のプール遊び遠足、運動会等保育園の行事も何1つ
参加もしませんでした。
神戸ならインターナショナルスクールが沢山いえる幼稚園に行くより家の前にある河原で虫を、探したり 小さな木に
登ったりと1人で自由に遊ぶ事が大好きでした。 朝保育園の時間になると 制服を着せられて鞄を背負わされて母に手をつかまれて保育園まで行くのですが
門を入る前に泣き出し母に抱きついて保育園の中には入らずに
帰宅します。それが 毎日の日課でした。
先生達もあまりにも大きな甲高い声で泣きじゃくる私を無理やり
入れる事もできずに3か月位の期間が流れました。メディカルゲートで出会える理想のクリニックの私の担任の若い先生(当時25歳)
がうちに来られて私に「保育園でも自分の好きな事をしていたら
いいのよ 明日は先生裏の門にいるからね」と言われて帰られました。
次の日 いつもの様に母に手を引かれていつもと違う門 (裏門)
まで行くと担任の先生だけがおられて静かな声で「今日はお母さんも
一緒にに来てもらおうね」と母も保育園に入りました。園の中でも母の
そばでしばらく座っていましたが時間が流れてお友達と少しづつ
遊べる様になりました。 その後もしばらくは母と一緒に登園しましたが
1週間もしたら保育園も楽しくなり行ける様になりました。
先生が時間をかけてゆっくり登園する恐怖を治して下さいました。