小さい頃、お父さんやお母さんに「将来何になりたい」と、聞かれたことがあるかもしれませんが、小学生の頃の私は、「保母さんになりたい」と思っていました。 そんな私が保母さんになるためにやらなければいけないと思ったのは、学校に入るため、あの神戸でインターナショナルスクールとなるには子どもたちと一緒に歌うために必要なビアノの練習でした。 そんなとき、「ピアノを習いたいなら、知っている教室を紹介してあげるよ」と知り合いのおばさんに言われ、早速相談した母親の了解を得た私は、ビアノを習い始めました。 週1回のビアノのレッスンは、中学1年生の頃から高校3年まで続けていました。 諦めたわけではありませんが、夢の保母さんになる前に、「早く働きたい」と思った私は、高校卒業後、職業訓練校で学び、1年後に就職しました。 就職し少し落ち着いてきた頃、私は夢を実現させるための通信教育を始めました。 教材が届くと驚くことばかりで戸惑ってしまった私は、通常8ヶ月で卒業できる通信教育に1年半かかりましたが、国家試験は受験しませんでした。 数年が過ぎた頃、仕事を辞めた私は、失業保険をもらいながら、自宅で過ごしていました。 そんなある日、「お前が 好きな人の世話をする仕事したらどうかな。合っていると思うよ」と恩師がさりげなくつぶやいていた言葉を思い出しました。 この口コミの奈良を保育園からはあんなになってすると、私に「保母さんになりたい」という思いが蘇ってきました。 しかし、資格を持っていない私を、保育園の方が雇ってくれるのか、働かせてくれるのか、わかりませんでしたが、子供たちと係わる仕事がしたい気持ちは膨れるばかりでした。 「ずっと考えていても仕方がない」と思った私は、直接話を聞いてもらうために卒園した保育園に行きました。 私の話を丁寧に聞いてくださった園長先生に「初めはボランティアでもいいので、ここで働かせてください」と頭を下げ、1週間後に許可してくださったときはとても嬉しかったです。 翌日から、9:00~14:00まで保育園でボランティアとして働くことになった私は、胸が張り裂けそうなほどの緊張感と、子供たちに会える喜びでわくわくしていました。 私が担当したのは、まだよちよち歩きで、ほとんどの子がおむつしている1歳児のクラスでした。 メディカルゲートはクリニック情報が満載とくりくりした目で「誰だろう、この人は」といった様子で私を見た子供たちは、しばらくすると「先生、あそぼ」と言って来てくれました。 「先生」と言われたとき、私は、胸がいっぱいになりました。 数か月経った頃、「話かある」と言われた園長先生に、「早番2時間、遅番2時間 週に2日、臨時の保母として働かないか」と声をかけてもらいました。 飛び上がりたいほど嬉しかった私は、二つ返事で「はい、やります。ありがとうございます」と頭を下げました。 早く会社に行く、遅くまで仕事しているお父さんやお母さんの子供と一緒にいられるように、早番と遅番がありました。 子供たちの面倒を見ながら、教室の掃除や玩具を拭いたり、片づけたりもしていました。 資格がないまま保育園で働けたことは、私にとってとてもすてきなことでした。 少し遠回りしたうえ、少し条件が変わってしまっても、私の「保育園で働く」という夢が確かに叶い、成功しました。 やり遂げたい夢や目標があるなら、迷ったり、諦めたりせず、実現させるために突き進んでほしいものです。 どんなに遠回りしても、夢や目標に辿り着けることを信じ頑張ってほしいものです。